今回は、ランニングも、お酒も、ガジェットも全く関係ない、昔の趣味の話。
昨年末、2階の納戸の整理をした。納戸を仕事場にする為。過去、毎年トライしてきたがダメだった案件。でも、今回は納戸を仕事場にすることが目的なので、動機の強さが違う。頑張った。頑張った結果、これまで手を付けていなかった、過去の趣味の残り物が沢山出てきた。今回処分しようと思っているが、その中でもとっても思い入れがあったので、思わず写真の撮ったのが、主題の一品。表題だけ見て分かる方はやっていた人だと思うが、これはラジコンカー。30年程前、日本は空前のラジコンブームに突入した。そこらかしこにラジコンカー専用のサーキットが出来た。御存じの方は年がバレるが、さらに10年程前にラジコンカーが流行っていた。そのころ、いわゆるベビーブーマー達はまだ小学生から中学生だったわけだが、少ない小遣いでは対して楽しめず、歯がゆい思いをしていたのだが、そういった世代が、社会人になり、財力を得たので、これでもかという位に部品やら機器にお金をかけて、一大競技カテゴリーに育っていっていた。そんな時に、やはり少年時代の思い出に引きずられて、ラジコンカーの世界に没入していた私。当時は、自由にできるお金も多かったので、大いにお金をつぎ込んだ。(でも自分はかわいいもんで、本気の人は本物の車が買える位のお金をかけていたハズ。そして今でも・・)しかし、それから十数年、子供もできて、家族に時間とお金をかけるようになり、またいつしかラジコンもブームが去った。それとともに各地のサーキットも経営が立ちいかなくなったのか、どんどん淘汰され、今では身近なサーキットは車で1時間以上走らせないといけなくなるまで、数が減ってしまっている。息子と走らせに行こうかと思った時期もあったが、最早それもかなわない。思えば、ブームが来た時、ラジコンメーカー各社はサラリーマン達にいかにハイエンド機器にお金を使わせるかに注力し続け、市場の持続に向けた努力を怠ってきていた様にも思える。唯一タミヤが気を吐いていたのだが、トップレベルのアマチュア達には、それらのすそ野を広げるカテゴリーはおもちゃ扱いされて見向きもされなかった。あるいはおもちゃで楽しむ「タミヤグランプリ」に相当のお金をかけて、ライトユーザーが立ち入れない壁を作っていた。結局今では普通に生き残っているのはタミヤのみ。あの時に各社が少しでも長期的視点に立っていれば・・とも思う。
と、いうことで、自分のラジコンカーも、走ることなく15年程押入れの空間を占有し続けていた。今回処分しようと思い箱から出してみたが、やはりこのメカメカしさは男の子の心をくすぐる。でも決して走らせることはないと思うので、じきに処分しようと思う。最後にその美しい車体を写真に納めたのでここに残しておきたい。写真の解説内容が少し趣味に走っているのはご容赦頂きたい。
HPI Racingは当時、初代ワールドチャンプ原篤がヨコモから移籍し、一番勢いがあったメーカー。倒産したのか、今ではホームページすらない。
カーボンファイバーの板とアルミナのブロックで車体を構成するのが一般的だったなか、ヨコモ、アソシエテッドがモールドパーツを採用してきて、流行が変わりそうだった時期。結局HPIもこの後、カーボンプレートバージョンに変更されていく。
ドライブトレーン周り。このメカメカしさが最高。
フロント周り。トー角、車高、ダンパーセッティング等、いじると車の挙動が本当に変わり、タイムに影響が出るのが、本当に面白かった。
昨年末、2階の納戸の整理をした。納戸を仕事場にする為。過去、毎年トライしてきたがダメだった案件。でも、今回は納戸を仕事場にすることが目的なので、動機の強さが違う。頑張った。頑張った結果、これまで手を付けていなかった、過去の趣味の残り物が沢山出てきた。今回処分しようと思っているが、その中でもとっても思い入れがあったので、思わず写真の撮ったのが、主題の一品。表題だけ見て分かる方はやっていた人だと思うが、これはラジコンカー。30年程前、日本は空前のラジコンブームに突入した。そこらかしこにラジコンカー専用のサーキットが出来た。御存じの方は年がバレるが、さらに10年程前にラジコンカーが流行っていた。そのころ、いわゆるベビーブーマー達はまだ小学生から中学生だったわけだが、少ない小遣いでは対して楽しめず、歯がゆい思いをしていたのだが、そういった世代が、社会人になり、財力を得たので、これでもかという位に部品やら機器にお金をかけて、一大競技カテゴリーに育っていっていた。そんな時に、やはり少年時代の思い出に引きずられて、ラジコンカーの世界に没入していた私。当時は、自由にできるお金も多かったので、大いにお金をつぎ込んだ。(でも自分はかわいいもんで、本気の人は本物の車が買える位のお金をかけていたハズ。そして今でも・・)しかし、それから十数年、子供もできて、家族に時間とお金をかけるようになり、またいつしかラジコンもブームが去った。それとともに各地のサーキットも経営が立ちいかなくなったのか、どんどん淘汰され、今では身近なサーキットは車で1時間以上走らせないといけなくなるまで、数が減ってしまっている。息子と走らせに行こうかと思った時期もあったが、最早それもかなわない。思えば、ブームが来た時、ラジコンメーカー各社はサラリーマン達にいかにハイエンド機器にお金を使わせるかに注力し続け、市場の持続に向けた努力を怠ってきていた様にも思える。唯一タミヤが気を吐いていたのだが、トップレベルのアマチュア達には、それらのすそ野を広げるカテゴリーはおもちゃ扱いされて見向きもされなかった。あるいはおもちゃで楽しむ「タミヤグランプリ」に相当のお金をかけて、ライトユーザーが立ち入れない壁を作っていた。結局今では普通に生き残っているのはタミヤのみ。あの時に各社が少しでも長期的視点に立っていれば・・とも思う。
と、いうことで、自分のラジコンカーも、走ることなく15年程押入れの空間を占有し続けていた。今回処分しようと思い箱から出してみたが、やはりこのメカメカしさは男の子の心をくすぐる。でも決して走らせることはないと思うので、じきに処分しようと思う。最後にその美しい車体を写真に納めたのでここに残しておきたい。写真の解説内容が少し趣味に走っているのはご容赦頂きたい。
HPI Racingは当時、初代ワールドチャンプ原篤がヨコモから移籍し、一番勢いがあったメーカー。倒産したのか、今ではホームページすらない。
カーボンファイバーの板とアルミナのブロックで車体を構成するのが一般的だったなか、ヨコモ、アソシエテッドがモールドパーツを採用してきて、流行が変わりそうだった時期。結局HPIもこの後、カーボンプレートバージョンに変更されていく。
ドライブトレーン周り。このメカメカしさが最高。
フロント周り。トー角、車高、ダンパーセッティング等、いじると車の挙動が本当に変わり、タイムに影響が出るのが、本当に面白かった。
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